■2023年7月 反省

「兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい…望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい…喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい…だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい」。

 五旬祭後第六主日の福音では、これを象徴するかのようなエピソードが読まれました。すなわち、ハリストスのところへ担ぎ込まれた中風患者が神様の力によって癒される、という出来事です。この中風患者がどのような経緯で寝たきり状態になったのか、聖書は詳しく触れていないものの、ある注解書はふしだらな行いによる結果、と推測します。自らを大罪人であると恥じ入る彼は、周囲の人々に担がれてあれよあれよという間に主の御前へと連れ出されました。とはいえ、彼らは中風患者を断罪しようと企てたのではありません。仲間を救おうとする人々の謙遜な信仰を見抜かれたからこそ、主は中風患者に対し「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と呼び掛けられたのです。そればかりか、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と命じられたことで、奇跡を目の当たりにした人々をも信仰へとお導きになりました。

「わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っている…奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである」。「好きこそ物の上手なれ」という諺がありますが、教会全体にとっても同様に大切な指標です。各人が神様から与えられた能力をフルに活用してこそ、良いサイクルが生み出されます。けれども、それは極めて難しいミッションです。なぜなら、あらゆる人々の集まる教会こそ社会の縮図であり、様々な誘惑や葛藤が生じるから。「宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみ」をはじめ、こうした類は枚挙にいとまがありません。そして、誰か一人でも「これは他の誰でもない、この私にしか果たせない務めである」などと思い上がった途端、望ましいサイクルは崩れ始めることでしょう。

そうではなく、老若男女分け隔てずして他者へのリスペクトを常に忘れず、自分に持っていない才能を相手のうちに見出し、それを皆が互いに最大限活かすならば、地上の教会はさながら天上の教会を映し出します。とはいえ、清貧を貫きながら世界の平和を祈り続ける修道者や、信徒を永遠の生命へと導くために奔走する聖職者たちでさえ、喜怒哀楽を伴った不完全な人間です。よって、ハリストスにおける兄弟姉妹同士、時には欠点が目立つことも当然のごとく考えられるでしょう。しかしながら、表に見えている印象だけでその人の価値は決まりません。人知れず並々ならぬ努力を重ねているかも知れないことを思い起こして、その人のために祈りを捧げたいものです。

ある聖師父は教えます。「主は人々に罪を犯すことを禁じたものの、私たちはあえなく罪を犯してしまった。すなわち、御言葉を軽んじたり、掟を踏みにじったりする。けれども、ご自分に背を向ける横柄な者に制裁を加えることも出来るのに、あえて忍耐強く耐え忍びつつ罪の赦しを与えようと慈しみ深く招いておられる。私たちが立ち返るように、褒美を用意しながらいつまでも待ち望んでおられる」。冒頭で紹介した「だれに対しても悪をもって悪に報いず」は神様の願いであり、だからこそ自ら率先して道を外れた者たちには回心を促されるのです。私たちに必要なのは、自らを省みてひたすら前へ進む心構え。そして、誰であれ困っている人がいるならば、皆で知恵を出し合い最善を尽くす。この善行が、今動けずにいる人へと勇気を与える第一歩となることでしょう。

(伝教者 ソロモン 川島 大)